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私は高校時代に、教師から体罰を受けたことがある。
体育の授業の時です。校舎から、少し離れた体育館に移動するため、外履きに履き替えて、上履きを手に持って体育館に移動する。
そしてまた上履きに履き替えるわけだけど、ほんの少しの移動だからと言って、上履きのまま体育館まで移動する生徒が、私を含め複数いた。
土足である。
この行為がバレたので、教師から体罰を受けたわけです。
正座の格好で並ばされた私たちは、順番に、竹刀で頭を打ち付けられた。
竹刀って、重いんですね。
叩かれる痛さもありつつ、ズシンとくる竹刀の重さを、脳天から体全体に感じました。
当時の私は、土足をしたくらいでなんでこんな仕打ちを喰らう必要があるのだ、と納得ができなかった。
土足 = 竹刀で叩かれる
という図式が、どうしても成り立たなかったわけです。
現在の私は、社会人となってしばらくの時が経ち、教育係的な立場になった。
この立場になって初めて、当時の体育教師の気持ちが分かる。
要するに、やったことの罪の重さなんて関係ないわけですね。大小の問題ではないわけです。
土足をしたからといって、それが大事故に繋がるとか、命に関わるとかそういうわけではない。
でも、それを許してしまうと、ルール違反がどんどんエスカレートして、収集がつかなくなってしまう。
どこかで線引をしないといけない。これはいけないことだよと教えなければならない。
ここから先は、もうヤバイんだぞと教育する必要がある。
それを教える為の方法が『体罰』であるとは言いません。体罰を推奨しているわけではありません。
しかしですね、考えてみてください。
土足をしました。
その生徒に体罰をした教師がいました。
どっちが悪いのでしょうか?
土足をした私が悪いのです。言わずもがなでしょう。
体罰をする教師に厳しい視線が注がれる昨今。どうでしょうか、悪いことをした生徒を叱らない教師、体罰をしない教師、、、 恐いですか? 全然恐くないですよね。
そんな教師の言うことなんて、誰も聞きませんよ。
何が良くて、悪いのか。どうやって教育すればいいのでしょう。
口頭で説明する? それで直らなかった結果としての体罰なのです。
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